試し読み終了・目が覚めると冷たい汗を。ありふれた名字だった。 8-2.→9.

8-2.目が覚めると冷たい汗を。

ギュルル……と少し跳ね、服を削った後に、鎖骨のあたりに納まった。これから力を込め、押し進めていけばアンが切断される。少し力を込めると人間の身体は以外と硬い。カップで売っているカキ氷に金属製のスプーンを押し付けるような、そういう感触が手に伝わった。アンに直接触れた訳じゃあないけど、体温が失われた身体は冷たく、そして硬い。ドッドッド……振動は僕の腕とアンの身体に伝わっていく。


 ……目が覚めると冷たい汗をかいていた。夢、か。図書館で調べて知ったことが、夢の中で他の情報と再統合されて映像になったのだろう。どこかゲーム的に思えるのは、ゲームの記憶が引っ張り出されたのかも知れない。隣を見ると、アンはもう目を覚ましていて天井の方を見ていた。その目から涙がつうっと流れた。僕の夢を見られたのじゃないか?と不安な気持ちになるが、夢ってそういうものじゃないことにすぐに気付く。アンも同じような夢を見ていたのかも知れない。だけど僕はそれを聞けなかった。


9.ありふれた名字だった。

「愛は地球を救うって言うけど、俺はなんかあの言葉は嫌いだったな。悪い言葉じゃないよ。でも愛が地球を救うなら、何が地球をダメにしているのか?憎しみか?何かね、そこらへんをハッキリさせないで、愛を万能薬、魔法みたいに扱うのって、ちょっと違うと思うんだよねぇ。」

 大学の時の友人か誰かがこんなことを言っていたと思う。



これにて試し読みは終了です。続きは、『劇団ヤルキメデス超外伝』のナカノ実験室が小冊子という形で販売しております。なんらかの形でご連絡頂ければ、販売することもできるかも知れません。また、電子版の販売なども検討しております。

歯が歯茎ごと剥き出しになっていた。 8-1.

8-1.歯が歯茎ごと剥き出しになっていた。

既にニアデス・ハピネスは失われ、アンの顔面は苦悶の表情や、もっとデタラメな表情を繰り返している。顔の骨の上に筋肉があり皮が張ってある、ただそれだけのモノになってしまった。眼球はグルグルと動き、最終的に白目になってしまった。ゾンビはやはり白目なのだなと思う。そして、そこから青い血が溢れてくる。ただただ溢れてくる。手足の動きはもっとデタラメで、すぐに立っていられなくなり床の上をのた打ち回った。バタンバタンと音がして、椅子や机にぶつけると皮膚が破れ、そこからもまた青い血が噴き出してきた。人型のネズミ花火とかあればこんな感じかも知れない。

 それらもやがて静まり、すうっと立ち上がった。もしかしたらマリッジ・ブルーなんてふざけた病気はウソだったのじゃないか?と、少し心が動いたのだけど、それはすぐに打ち消された。顔をふっと上げると、それはかつてアンだったモノだということが分かる。目は白目で、青い血を流し、口は裂け、歯が歯茎ごと剥き出しになっていた。ゲームや映画でよく観たゾンビそのものだった。

 ドッドッド……僕は手の中のチェーン・ソウを振り上げる。そう言えば、どこから切断するかを考えてなかった……だけど自然にアンの顔と腕を避け、肩口の辺りに持っていく。自分でも不思議だが、そこが一番切断しやすかったのかも知れない。

僕が大学二年生の頃に出版された本だった。【略】②。 7-3.→8.

7-3.僕が大学二年生の頃に出版された本だった。

僕は出来なかったが、いや、これからするかも知れないが、愛する人が死を迎える間に何もしないというのも考えにくい。そこから起こりうる結果の一つに関して全く例がないのは……不気味なモノを想像させる。しかし、その事に関しては既にデジタル化された新聞でも確認したし、もう『マリッジ・ブルー』に関する知識として広く知れ渡っている。裏表紙を確認すると、その本は初版だった。重版されているかは分からないが、僕が大学二年生の頃に出版された本だった。まだその当時は『謎』だったことなのだろう。アンを見ると下を向いていた。泣いてはいないけど、涙が流れていないだけかも知れない。手渡す時のアンの顔をちゃんと見ておけば良かった。僕は、できるだけ優しい声を出すようにして、言った。

「大丈夫、知っている。知っているから。」

 その言葉が、正しい言葉だったかは、分からない。


8.【略】②。

 ドッドッド……僕の手にエンジンの振動が伝わる。臨死最恍惚微笑(ニアデス・ハピネス)が始まると三分経たないうちに花嫁は死に、そしてまた三分経たないうちに、ゾンビとして復活するという。変貌していく彼女を見るのは、ツライ。だけど僕はその最期の様子を見なければいけない。最後に「ありがとう」と言い、その後は違うモノへと変わっていく彼女をじっと見つめていた。

 見慣れた『形』が崩れていく様子は見るに耐えない。だけど例えば、映画などでシーンとして観た事があるからか、思っていたほど心が壊れてしまうような衝撃はなかった。それは心を守ろうとする防衛反応のようなモノだったのかも知れない。

指で挟んで栞に。 7-2.

7-2.指で挟んで栞に。

それよりもむしろ、確率的に言えば活躍する機会がほとんどゼロに等しい、各市町村に設置されている『再殺課』の方が問題視された。事業が仕分けられたりする中で、それは他の課との兼務となっていったようだ。チェーン・ソウなどを使うことから都市整備課が兼ねることが多く、焼却に関する装備が必要な『再殺』を行うときは、機動隊や自衛隊などが立ち会うことが多いようだ。そのようなことも「当たり前」となってからは、ほとんど記事になることはなく、ここ数年では『お悔み』に登場するくらいになってしまい、新聞記事での扱いはほとんどなくなっていった。例えば「治療法が発見される」……などと言う話題は全くなかった。それがあれば今こうしている訳ないのだけど、それでも何かが見つかるのじゃないか?と思い、画面をスクロールさせてヘッドラインを追った。だけど僕の読みたい記事は見つからなかった。

 アンの方を見る。目で伝わったのか、アンは僕のところに来た。特に手がかりになるようなモノはなかった。アンも同じような感じだった。だけど手に一冊本を持っていて指を挟んで栞にしていた。僕はその本を読ませてもらう。

『本当に愛し合っている、そして新婚の場合でないとマリッジ・ブルーは発症しない。妊娠の後の結婚、いわゆる「できちゃった結婚」の花嫁はマリッジ・ブルーに罹患しない。だが一つ気になるのは、その例が全くないとは考えにくいのだが、感染してから発症するまでの間に妊娠が今のところ、確認されていない、ということである。今後、更なる研究が待たれるが……』

 アンが開いていたページにはそう書かれていた。

マリッジ・ブルーは世の中に現れた。 7-1.

7-1.マリッジ・ブルーは世の中に現れた。

ブログとかが流行っている世の中だから、例えば『マリッジ・ブルー闘病ブログ』などあってもよさそうだけど、様々な重大な疾病に関するブログはあっても、マリッジ・ブルーのモノだけはなかった。なんらかの規制がされているのか?と思ったのだけど、ふと、自分がアンのことをブログに書いて発信したいか?と考えてみると、そんな気は全く起きなかった。みんなそうだったのかも知れない。図書館には、昔の新聞などネットにはない情報があるに違いない……そう話して来たわけだけど、僕もアンも、とにかく動いていたかったのかも知れない。

 図書館について僕とアンは、それぞれ別々に調べてみた。僕は新聞記事を調べ、アンは医学関係の書籍を探してみる。まだ何も分かってない未知の病気だが、それを論じたモノはそれなりにあるみたいだった。ありがたいことに新聞はデジタルデーター化されており、『マリッジ・ブルー』と検索すれば過去の記事を閲覧できた。こんな便利なモノがどうしてインターネットで閲覧できないのか?と思ったが、その隔離された感じはどこか重苦しく、閉鎖的なモノを感じる図書館に相応しいとも思った。図書館とインターネットはイメージの中で遠い。

 僕が高校生の時に、マリッジ・ブルーは世の中に現れた。最初は大々的に取り扱われていたが、時間が経つにつれて新聞での扱いも小さくなって行くことに気付く。世界的な奇病ではあるけれど、年間一〇名にも満たない発症例は、次第に話題性を失っていった。最初は、ショッキングに思われた『再殺』ですら十年経たないうちに、日常の中で時々あるモノとして受け入れられてしまった。

誰も知らない世界に二人で。図書館に行ってみる。 6-2.→7.

6-2.誰も知らない世界に二人で。

「ですが、マリッジ・ブルーに罹ったのでしたら……。」
「ええ。それは今年の二月のことなのですが、まだ発見こそされていませんが、捜索は続いています。」

 案外、その二人も故郷に戻っているのかも知れない。いや、故郷こ、最初に探されるだろうか。故郷かどうかは分からないけど、ここではないどこか、誰も知らない世界に二人で、最期の時を待ちながら……。

「一応、再殺の結果は全国紙の『お悔み』に掲載されるので、毎日チェックはしているのですが。」
 では、まだ生きているのか。それが良いことか悪いことは分からない。
「……。」
「……。」
 ん?沈黙?
「……あの、最後の、三人目の方は?」
「……最後の方は、心中されました。」
「え?」
「飛び降りによるものでした。」

 ……それも良いのかも知れない。最愛の人を手にかける、再【略】るなら、いっそ共に死を……。二人の最期の時間。故郷で過ごす、失踪する、心中する。それらは正しい選択なのだろうか。いや、三人の男達も少なくとも最初は……。しばらくして医者は診療に戻った。僕は一人部屋に残された。


7.図書館に行ってみる。

 その日はそのまま家に帰り、なんとなく晩ご飯を食べて寝た。次の日、朝起きて、なんとなく朝ご飯を食べて、図書館に行ってみることにした。『奇病』に関して調べてみるためだ。インターネットでも粗方調べてみたのだけど、インターネットで分かることは限られていた。

同郷で同級生のお二人でしたから。 6-1.

6-1.同郷で同級生のお二人でしたから。

 ……気を使われたのか、言葉の最後の辺り『三人』の後の間には、どういう意味があったのだろうか。適切な、当たり障りのない言葉を探したけど見つからなかった感じだろうか。『患者』じゃあダメだったのだろうか。それとも死が確定している者には、『患者』は相応しくないのだろうか。死というにはあまりに奇妙な病気。『患者』と言うには病の方が奇病すぎるのかも知れない。

「その三人の人々は別れの時まで、どう過ごされたのですか?」
 僕は『別れ』という言葉を選んでいた。
「三人、この場合は三組とも言えますが。一人の方は私の最初の患者でしたが、パートナーの方と最期まで過ごされました。同郷で同級生のお二人でしたから、最期の時間は故郷で過ごされたそうです。」

 なるほど、そういう選択もあるのか……いや、それが一番優しい選択なのだろう。もしも二人を別つ原因がマリッジ・ブルーであってもなくても、多くの人がそうするのじゃあないだろうか?人は誰しも最後には死ぬ。だから最期に優しい時間を過ごす。だけど変な言い方だが、僕らがもっと若くなかったら、きっとそうしただろう。

「もう一人の方、いえ、もう一組の方は失踪されました。」
「失踪?」
「ええ。それが二人一緒だったのか、それとも別々だったのかは分かりませんが、行き先を誰にも告げられず行方不明に……。」

 花嫁がゾンビと化した後は、速やかに再殺しないと二次被害の危険がある。だから感染後に行方をくらませるのは限りなく難しいのだが……。

布団は汗で湿っていた。三組のカップル。 5-2.→6.

5-2.布団は汗で湿っていた。

 ……目が覚めると、泣いて寝た目はもう乾いていた。夢で見るには、これから体験するであろう未来の内容、映像。目は乾いていたが布団は汗で湿っていた。アンはもう起きて味噌汁を作ってくれている。匂いと音で分かるいつもの習慣。こういう時にいつもと同じことが出来るのが、女性の強さなのかも知れない。「どうしたい?とか、どうして欲しい、とかある?」。公園でアンが言った言葉。その答えが決まった。本当は決まっていたのかも知れない。運命に抗うと言うのだろうか、残された時間、せめて助かる方法を探そう。そう思った。


6.三組のカップル。

 朝起きて、僕は会社に行き、年内の有給を申請した。伴侶がマリッジ・ブルーに罹患した場合、権利として有給をとることが出来る。それでも申請制ではあるのだけど、申請されないことはないという。会社から出て病院に向かう。僕らと同じ立場の人の話を聞きたかったからだ。診療の合間をみて、医者は時間を作ってくれた。それほど患者が多くなかったのか、すぐに話を聞くことが出来た。覚悟を決めなければならなかった人達。最愛の人を【略】覚悟、人が死を受け入れるには何が必要なのだろうか?医者に聞いてみる。また、どのように余生を、花嫁が再び死ぬまでの時間を暮らすのかも。

「まだ、世界的には発症例の少ない病気です。世界でも数千。日本でも百と少し……。これでも県下一の総合病院ですから、日本の中でも多い方かも知れませんが、私は三人……知っています。」

臨死最恍惚微笑-ニアデス・ハピネス- 5-1.

5-1.臨死最恍惚微笑-ニアデス・ハピネス-

だけど目の前で、彼女の腕から血と血から変容した何かが溢れ出ているのを見ると、自然とその言葉が出てしまった。彼女の身体は、ビクビクと痙攣していた。

 黄色い血が、その縁から何かが溶け込む様に青く染まっていく。臨死出血流黄疸を経て『臨青死紋様縞』が彼女の皮膚に広がる。花嫁が死を迎えようとしている。僕は彼女の顔を観る。

『ありがとう。』

 勿論、彼女は声を出さない。だが、僕にはそう言っているように思えた。花嫁が……花嫁となった時に最初に発する言葉。それを一度迎える死に際して青血の花嫁は、その表情に湛えるという。それはもしかしたら、この状況にならないと現れないモノなのかも知れない。それを観ることができる人は、本当に限られているのかも知れない。この表情は仏教文化のある国では『菩薩』と称され、キリスト教圏では『聖母』と呼ばれるらしい。医学、科学の用語としては『臨死最恍惚微笑』と記され、『ニアデス・ハピネス』と読ませている。それを観ることができる花婿は、もしかしたら幸せなのかもしれない。

 チェーン・ソウを握る手に、もう一度、力を込め、覚悟を決める。今から、この花嫁を一六五分割にしなければならない。分割が済めば速やかに焼却しないといけない。まるで剣道の上段の構えのように、僕はふらつきながらチェーン・ソウを振り上げた。ドッドッド……という振動が今度は天井に向かう。

臨死出血流黄疸。 5.

5.臨死出血流黄疸。

 ドッドッド……僕の手にエンジンの振動が伝わる。腕はその重みを感じている。この機械のことを初めて知ったのは、小学校の社会科の時間だったろうか。担い手の不足と労働に関する病気。ロウビョウとか、そんな名前だったか。長時間この振動を身体に受けることによって、パンチ・ドランカーのような体質になってしまう、そういう病気。じゃあなかったと思う。もう十年以上前のことは記憶がアテにならない。

 思えば、最初に知ったのは小学校の時だったけど、写真やテレビで見ても、実物を見ることはなかったし、手に持ったのは今日が初めてじゃあないけど、エンジンをかけたのは今日が初めてだった。練習をしていないから、ちゃんと分割することができるだろうか。練習なんてする気なんて起きなかった。ドッドッド……僕の手の中でチェーン・ソウが振動している。彼女の腕に滴る血が、赤い血がその滴りの中心から透明になり、血というよりは、黄色いリンパの液のようになる。

「痛くない?」

 自分でも、素っ頓狂な訳の分からないことを聞く。マリッジ・ブルーの最終段階の序『臨死出血流黄疸』が始まる頃には花嫁には意識はなく、表情に変化もないので痛覚からは解放されていると推測されている。その痛みは花嫁にしか分からない。だけど花嫁はもう言葉を発しない。だから分からない。

顔を伏せて泣いた。だけど、残酷な時間。 3-3.→ 4.

3-3.顔を伏せて泣いた。

「……ごめん。やっぱり、泣いていい?」
「……うん。」

 アンは、顔を伏せて泣いた。声を押し【略】いるのは、人目があるからだろう。僕も我慢していたけど、我慢できなくなって、泣いた。顔を伏して、声を押し【略】。


4.だけど、残酷な時間。

 一時間も経っていないと思う。それでも、すごく長い時間に感じたのは、沢山泣いたからだろうか。ともかく、僕らは帰ることにした。何も解決してないから、ともかく、だ。公園の出口に向かう途中、アンがふいに足を止めた。見ると花束が置かれていた。ここで何かがあったのか?それはすぐに分かった。芝生が二畳分くらい焼け焦げていた。ここでかつて再殺が行われたんだ。目の前に急に広がったリアルが、僕らを足元から包み込んでいった。それでもまだリアルじゃないのか、脳が痺れてしまったのか何も感じなかった。心が停止した。だけどきっと顔の色は青かったのだと思う。アンの顔を見る余裕はなかった。

 公園からどのように家に帰ってきたかは覚えていない。その日、僕とアンは一緒に寝た。いままでも一緒に寝ていたけど、その日は特別だった。僕は彼女を抱きしめた。アンも僕を抱きしめた。甘い時間。甘い香り。だけど、残酷な時間。アンの匂いは僕の間脳を刺激して、それが【略】の時間、夫婦になろうとする時間の起爆剤によくなっていたのだけど、【略】。

 【略】、多くの場合、男が、僕が、【略】、時間的には二十分にも満たない時もあるけどそれでも未来を、前向きな行為だったのだと、その時に初めて分かった。もしもこんなことが起きなかったら、四十六歳くらいになって自然としなくなり、その後はもう二度と気付かなかったのかも知れない。前向きさに。気付きたくなかった。僕は泣き、ただただアンを抱きしめた。アンも僕を抱きしめた。甘い匂い。汗に含まれる成分だろうか。僕の大好きな匂い。【略】。

死の宣告を受けた。 3-2.

3-2.死の宣告を受けた。

アンも子ども達を見ていたのか。いや、見ていたように見えた僕を見ていていたのかも知れない。こういう時、どうしたら良いのだろうか。何ができるのだろうか。どこか、頭の中で現実として受け取れてなくて、アリテイな言い方をすればリアルじゃない。死の宣告を受けた。アンは年内に死ぬ。もっと悲壮な気持ちになってもよさそうなのに、今日は明るくて暖かで、そんな気が全然しないからか、頭の方が追いついてないのかも知れない。もしかしたらあの医者もウソをついていて、アンが何かのサプライズを用意していて、今日は何の記念日でもないけれど……。

「私、死んじゃうね。」
 ……。
「……うん。そうだね。」
 ……何が「うん」なんだ!
「……どうしたい?とか、どうして欲しい、とかある?」
「……アンは、どうしたいの?」
「私?私はね。うーんと、そうだな……。」

 ……沈黙。聞かれて聞き返して、すぐに後悔した。そんなこと決まっていたら聞く訳ないじゃないか。僕はアンが死んだら独りになる。でも、アンは死んだら……死ぬんだ。二人の問題だと思っていた。だけど、そうじゃあない。そうじゃあないんだ。

「私はね。アリテイに言うと、生きていたいかな?なーんて、すっごく普通だけど。」

 ……無理しているのが分かる。笑っているように見える目の端に涙が溢れてきている。

自分が子どもだった頃を思い出してみる。 3-1.

3-1.自分が子どもだった頃を思い出してみる。

「ご本人じゃあなくても、役場に依頼することもできます。」

 役場。花嫁再殺課。その名の通り。マリッジ・ブルーが発見され、しばらくして設立された課。することはそのまま課名の通り。ゾンビとなった花嫁を再び【略】。書類とチェーン・ソウが収まったギターケースのようなモノを手渡され、しばらく放心していたのだけど、看護婦に促され廊下へと出される。告知、という手続き。聞かされたことが理解できず、頭の中で反射し続けているようだった。僕が診察室から出ると、アンは静かに微笑みかけてくれた。辛いのは彼女の方なのに、その優しさが嬉しかった。後、悲しい気持ちになった。まだ午後の三時頃で、暖かいと寒いの中間の寒い寄りの穏やか気温。診察室を出たのが夜だったら、家に帰って、その日は終っただろう。だけどまだ一日の残りが長い。

 楽しそうな子ども達の声。わぁわぁと何かを追いかけている。ボール。僕とアンは家の近くの公園にいた。誰かがボールを投げ、皆で追いかけ、誰かが拾うと、また投げて追いかける。特にゲーム性もなくて同じことの繰り返し。面白いのだろうか?自分が子どもだった頃を思い出してみる。繰り返しの中にも、例えばボールの弾み方が違うとか、石にぶつかって変な方向に跳ねるとか、効果があったのかどうかは分からないけど、皆が追いつくまでギリギリまでボールを投げるのをじらしてみたり……かけひき?のようなモノがあったように思える。子どもの頃はともかく身体を動かすことは「良いこと」だった。とにかく動く。あのパワーはどこから来ていたのだろうか?ボーっとそんなことを考えて、ふと見やると、子ども達はもういなくなっていた。

「ねぇ?」

 沈黙を破ったのはアンの方だった。

赤い血が青い血に変化する。告知 2-2.→3.

2-2.赤い血が青い血に変化する。

 ゾンビという表現がしっくりくるのは、花嫁達は不死とも言える生命力を持っており、【略】で撃とうが刀で腕を切り飛ばそうが、生きて動く。切り飛ばされた腕も動いている。完全に【略】しまうには、花嫁の身体を一六五以上に分割し、その後にウイルスの飛散を少しでも防ぐために、焼却しなければならない。一六五という数字に意味があるか分からない。ただ「バラバラにする」という曖昧な表現よりは確実性が増すはずだ。『火葬』ではなく『焼却』と、表現されるのは、その場で乱雑に燃やされてしまうからだ。弔う気持ちがあっても、その行為に『葬』という文字は相応しくない。

 花嫁がゾンビになると血の色が変わる。それは、彼女らの身体を分割する時に嫌というほど分かるのだが、赤い血が青い血に変化することから、この奇病には『マリッジ・ブルー』という名前がついた。面白くもなんともない。科学者のボキャブラリーの貧しさが分かる。だけど世の中に、そのような奇病、命に関わる奇病、人生を大きく狂わす奇病が存在していても、自分の身に起こってみないと実感がわかないもので、自分が関わってもすぐには実感、リアリティーを感じなかった。僕の彼女、恋人、内縁の妻にはならない同居人、婚約者、フィアンセ、色んな言葉で言い表すことができる僕の彼女、アンがその奇病に罹ったと聞いても、何が起きたのか分からなかった。婚姻届と結婚式はどちらが先か……そんなことを考えていたのに。


3.告知

「マリッジ・ブルーに感染しています。」

 医者はそう短く言い。何枚かの書類とチェーン・ソウを僕に手渡した。なんのことだか分からなかった。これで、一体、何を……。

花嫁は年を越せない。 2-1.

2-1.花嫁は年を越せない。

 「花嫁は年を越せない」。そんなセンセーショナルな見出しがトップニュースを飾ったのは、数年前のこと。当時、まだ高校生だった僕は、その第一報をブログポータルサイトのトップページのヘッドラインで読んだ関係で、どこかの嘘ニュースサイトが作った虚構のニュースかな?と思ったのだけど、残念ながら、それは虚構ではなく事実だった。

 それから五年経ち、六年経ち、徐々にその詳細は分かってきたが、その根本的な原因は分かっていない。ただ、原因は分かってないが、起きる現象は何例も確認されている。ある未知のウイルスに女性が感染すると、感染から三六五日以内に、確実に死亡する……そのようなことが世界中で起きた。「三六五日以内」とは大まかな日数だ。感染から潜伏を経て、発症、死亡に到る中で、冬になれば発症が増え……今まで確認された中で年を越した女性はいなかった。そのため「三六五日以内」とされている。また、感染は初婚の女性に限られ、特に婚約、結婚から間もない女性に多くみられた。「『花嫁』は年を越せない」奇病である。ただ、花嫁が死亡するということよりも、この奇病がより深刻なのは、発症し死亡した女性が再び生き返る……という部分にある。それは例えば仮死状態になり、再び意識を取り戻すということであれば、何も問題もないのかも知れないが……救われないのは、人じゃない生き物として蘇ってしまうという部分にある。

 多分、多くの映画や、もしくはゲーム、ゲームが原作の映画を観てきた僕たちには、現象を一言で理解できる一番の言葉だと思うけど、一度死んだ花嫁は『ゾンビ』となって生き返る。生き返ってしまう。今のところその状態を戻す有効な手立てはない。悲惨なのはそのゾンビは人を襲い、仲間を増やしてしまうことだ。まるでパニック映画のような話だが、ゾンビに噛み付かれた人は男女を問わずゾンビとなってしまう。さらに、ゾンビの中でウイルスが増殖してしまう。空気感染も接触感染もしない、感染するには別の因子も関係していると推測されているウイルスだが、目の前で明らかに増えているモノを駆除しない訳にはいかない。【略】しかない。

最後の最後まで震える手。マリッジ・ブルー。 1-1.→2.

1-1.最後の最後まで震える手。

「ねえ……。」
「うん?」
「一つ、確認しておきたいのだけど?」
「いいよ。何?」

 実はこれは、昨日も聞いたことなのだけど、最後の最後まで震える手と心に、覚悟を決めさせたかったのかも知れない。

「君を【略】のか、君が死んでから【略】のか、どっちがいい?」

 手に力が入ったのか、ドッドッド……という振動に少しだけ歪みが生じた気がした。このチェーン・ソウで、これから彼女をバラバラにする。バラバラにするために、チェーン・ソウのエンジンをかけたのだから。


2. マリッジ・ブルー。

「嫁さんが可愛いのは最初だけだ。給料を任せるようになるともうダメだね。多分、俺よりも通帳の残高を気にしている。子どもが出来たら、もう確実に恋人じゃあなくなって母親になる。ま、それはそれでいいのだけど、日増しに肥えていくのは、ほとんど詐欺じゃないかな?」

 彼女ができた時、結婚を決めた時、こんなことをよく言われたものだ。大学で初めてできた彼女を家に連れて行った晩、彼女はもう帰った後だったけど、親父がビールで顔を真っ赤にしながらそんなことを言っていた。あの子とはもう会ってないけれど、もう結婚しただろうか。それとも死んでしまっただだろうか。

十二月三十一日。 1.

1. 十二月三十一日。

 結婚が人生の墓場と言うならば、僕は君と一緒にお墓に入りたかった。覚悟は決まっていたと思っていたけれど、思うようにエンジンがかからないのは、やはり動揺しているからだろうか。それとも、元々、不器用だったからだろうか。ふと、日雇いの建設関係のアルバイトに行った時に、非常用の発電機のエンジンをなかなかスタートさせられないで、ドヤされたことを思い出した。やはり、不器用だから、だろうか。

 ギュルル……と高い音が最初に鳴り、その後は、ドッドッド……と短い振動が続く。まるで心臓の音、鼓動のように思えた。事実さっきから、いや、昨晩の寝る前から心臓はバクバクと音を鳴り響いている。それが途切れたのは、寝て起きて、目が覚めるまでの少しの間だけだったかも知れない。手にじんわりと汗がにじむ。

「大丈夫?」

 よっぽどヒドイ顔をしていたのだろうか、彼女が声をかけてくれた。本当はその言葉は僕が発するべきなんだろう。

「うん、大丈夫。大丈夫だと思う。」
「本当?無理しなくていいんだよ?」

 ……無理って何だろうか?僕は何を無理しているのだろうか。いや、ちゃんと言葉では理解できているのだろう。だけど、きっと、まだ……覚悟が決まっていないのかも知れない。

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